年中行事

追儺会

(ついなえ)

年中行事一覧

 日本には昔、大晦日に行なう追儺(ついな・おにやらい)という行事がありました。宮中に始まり、その範は中国に求められます。疫病の鬼に扮した舎人(とねり)を、方相氏〔鬼を追う人〕になった大舎人長が4目の仮面を被って追払う儀式でした。殿上人は桃の弓と葦の矢でこれを援護したと言う優雅な行事でもありました。ここで言う大晦日は現在の12月31日とは少し異なります。なぜかと言うと太陰暦で数えたからです。陰暦は5日を1候、3候を1気(節)、6候を1箇月としました。そして、節の前日を「節分」と言い、気節(季節)の移り変わりの目安としました。特に「暮れの節分」は新たな年を迎えるので、重要な意味を感じたようです。この日を現在の太陽暦に移すとだいたい2月3日頃になります。

 ところで、節分に欠かせない「鬼」。そもそも鬼は中国から伝わったものと言われています。中国の古典『楚辞』に屈原(くつげん)という人が出てきます。非常な愛国者で有能な人であったのですが、讒訴(ざんそ)によって左遷され、汨羅(べきら)と言う河に身を投じてしまいます。その後、屈原の怨霊〔鬼〕が度々現れ、汨羅を通る人々に災をもたらしました。 そこで、人々は災を鎮めるため、節分〔5月5日・屈原の忌日〕の日に「ちまき」を河に投じ霊を慰めたことが記されています。

 もともと「ちまき」は節分には必ず作られていたようですが、今では、5月の節供菓子になってしまいました。やがて「ちまき」は五穀にかわり、さらには豆に代表されるようになりました。

 日本に仏教が伝わりますと、修二会という行事が行われるようになりました。現在でも残る東大寺のお水取りが特に有名ですが、興福寺でも過去に東金堂や西金堂で厳修されていました。仏教の起源であるインドの正月は日本の2月にあたり、それを模したとも言われることからも、やはり新年に修める行事であったことがわかります。

 以上のように、これら様々な思想や法会・行事が混ざり、日本では鎌倉時代に節分の鬼追いの行事が一般に定着し始めたようです。近年減ってきていますが、ヒイラギの枝にイワシを刺して門口に立てているのをご覧になったことがあると思います。鬼はイワシの臭いに弱いと言うところから来ています。また、節分の日に欠かせない「豆」。自分の年齢より1つ多く豆を食べていると思います。これは節分が年越しに行なわれていた名残です。節分とは新春を無事に迎え、心新たに1年を始める行事です。

 興福寺ではその伝統を引き継ぎ、毎年2月3日に、東金堂本尊・薬師如来の御宝前で皆様の除災招福を祈る悔過法要を厳修しております。法要が終わると、鬼追いの儀式、豆まき行事へと続きます。当日は寒さも一際ですが皆様も是非1度、春の足音をお聞きになりに来てください。

現在のご拝観について
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