年中行事

文殊会

(もんじゅえ)

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 文殊菩薩は、正式には文殊師利法王子菩薩摩訶薩と称し、サンスクリット語のManjusriを音写したものです。「Manju」は美しい・魅力ある、「sri」は繁栄・栄光・王者と言う意味で、妙吉祥菩薩、妙徳と訳されることもあります。その絶大な智慧を象微して、獅子に乗る姿で表されます。また、遥か昔に既に成仏して「樹種上尊王仏」になったとも言われ、種々の大乗経典では未来仏の弥勒が問者、文殊は答者となることが多く、また重要な経典の1つである『維摩経』では、維摩を訪ねた文殊が対談を通して仏教の奥義を明かされます。

 『仏説文殊師利般涅槃経』(ぶっせつ もんじゅしりはつねはんきょう)には、「文殊菩薩を供養したいと思うならば、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう。貧者に施給することは、文殊菩薩を供養することである」と説かれます。文殊会は、文殊菩薩をお祀りして、人々を救い教化し、また孤児を養い育てることを祈願することが起源であると言われております。日本では淳和天皇の時代に勤操や泰善らが畿内において、諸々の貧者に施す社会福祉的な善業を公家と協力して実施したことが始まりであると言われています。勤操の入寂後、泰善の上表により天長5年(828)2月25日「應修文殊会事」の太政官府を下され、国家恒例の勅会として諸国で厳修されました。その後、承和2年(835)6月、承和6年8月の詔と官符に従い、文殊会を奨励されるようになります。やがて、毎年7月8日東寺や西寺を始め広く京畿諸国の寺々において行なわれるようになりました。しかし、諸国での文殊会の大半は平安時代末期に衰退してしまいました。

 興福寺では、承和6年3月、中院屋という塔頭で文殊会が始められたという記録があります。江戸時代の享保年間にも3月25日文殊会ありと記されなど、長い間、続いていたことがうかがわれます。

 現在の興福寺文殊会は、4月25日に執行しております。当日、三条通りを華やかな衣装に身を包んだ稚児たちが、上三条町の浄教寺を午後2時半に出発し、奉納された一字書(『維摩経』の経文から抜粋)の奉額車を引きながら、東金堂に向かってお練りをします。その後、午後3時頃から東金堂にて法要を厳修します。(稚児行列参加などのお問い合わせは本坊寺務所まで)

現在のご拝観について
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