年中行事

春日社参式

(かすがしゃさんしき)

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 皆様はお正月に何処にお参りに行かれますか?おそらく多くの方は神社に行かれることと思います。また、お盆やお彼岸の時には何処に行かれますか?こちらは、お寺に行かれる方が多いと思います。この他にも、日本ではクリスマスを祝ったり、節分を祝ったりとすっかり本来の宗教的意義は忘れて風俗化しています。

 さて、興福寺では、正月の2日に貫首をはじめとした一山僧侶と有縁の方々と共に、春日大社にお参りいたします。この日は春日大社の「日供始」でもあり、日々、神々にお供えをする1年の最初の日です。宮司をはじめ神官の方々と一緒にお参りし、本殿前と若宮前において『般若心経』と『唯識三十頌』を読誦します。神社で「お経」を読むことに違和感を覚える方も少なくないと思いますが、興福寺と春日大社の密接な歴史的関係を除いても、明治時代までは一般的にもごく自然のことでした。

 仏教の日本への公伝は飛鳥時代のこと。当初は外来の宗教で、しかも当時最先端の文化でしたから、受容には随分と時間がかかりました。そして、仏教が日本の国民的思想に同化するようになったのは平安時代の終わりの頃です。その結果が、本地垂迹説というものでした。本地垂迹とは、仏(本地)が衆生を救済するために、日本の様々な神の姿になってこの世に現われる(垂迹)という考えで、仏も神も帰するところは1つであるという思想です。本地垂迹の語は『法華経』の「如来寿量品」からとられたものです。

 神仏習合の考え方の一つである本地垂迹説の萌芽は既に奈良時代に見られます。この頃は、神も衆生の一つであり、人間と同じく迷界に流転する存在として捉え、悟りを求め仏法を尊び擁護するという考え方が広まります。神のために神宮寺と呼ばれる寺院を建立し、神に菩薩号(八幡大菩薩など)を授け、僧侶による神前読経などが行なわれました。

 日本の神は仏教の教えを受け、悟りを得て菩薩となったのですが、奈良時代では仏と同体になるまでには至りませんでしたが、神仏習合思想が徐々に発展して、平安時代の本地垂迹説によって、神と仏が一体化するに至ります。そして、藤原氏の氏神・氏寺として、言うまでもなく興福寺と春日大社は強靭な関係を築き上げます。

 興福寺の春日社参式は、仏教が日本に根付いた歴史そのものを表し、現在でも残る貴重な神仏習合の姿でもあるのです。

本日のご拝観について
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