興福寺について
興福寺整備計画
平成3年(1990)10月に、建築史・歴史・考古学・文化財・風致などの学識経験者にお集まりいただき、興福寺境内整備委員会を設置し、国、奈良県、奈良市のご指導を仰ぎながら、天平の文化空間の再構築を目指すことを中心に、現状の史跡興福寺旧境内や名勝奈良公園のあるべき姿など、さまざまな角度から検討して参りました。
平成10年(1998)2月に『興福寺境内整備構想』を策定し、史跡興福寺旧境内・史跡等登録記念物保存修理事業として国、奈良県、奈良市の補助を受けて進めることになりました。
具体的には中門と回廊基壇跡の発掘調査と基壇復元工事から開始し、平成12年(2000)にそれまで中金堂の役目を果たしてきた仮堂を解体し、基壇の発掘調査と基壇復元工事を行いました。その後、中金堂の立柱、上棟を経て、平成30年(2018)に創建当初の姿でよみがえりました。
中金堂が復元した現在も、「天平の文化空間の再構成」を合言葉に、興福寺は境内整備事業を進めてまいります。また、令和2年(2020)からは、国庫補助事業として五重塔の修理に着手します。五重塔の修理は明治35年(1902)以来、実に118年ぶりとなります。

中金堂復元工事

創建当初の中金堂復元のために、まず中金堂基壇の全面発掘調査で平面規模と位置の確認を行いました。
建物の姿かたち、内部構造などは、奈良時代以降の興福寺の縁起類をまとめた『興福寺流記』、平安時代末期の『七大寺巡礼私記』、中世に再建された建物を描いた絵画や建築図、奈良時代の唐招提寺金堂の調査、近年画期的な成果をあげている古代建築史の研究成果などを取り入れて、学識経験者による興福寺中金堂復元検討委員会による慎重な審議を経て、復元計画を作成しました。
中金堂の復元は、史跡興福寺旧境内の中心をなす最も重要な建物の復元であるに留まらず、今後の日本の伝統的木工技術の保存や発展、更には将来の文化財建造物として奈良時代の様式を後世に伝える復元計画でした。再建された中金堂について、これほど大規模な木造建築の復元は、今世紀はもう無いだろうと言われており、後世に残る木造建築の世界文化遺産として、また古都奈良の新たな象徴となる文化遺産です。
中金堂基壇
平成12年(2000)からの中金堂基壇発掘調査の結果は、次の通りです。
中門と回廊基壇復元
平成10年(1998)からの中金堂中門と回廊基壇発掘調査の結果は、次の通りです。