中金堂(ちゅうこんどう)

【年代】 平成時代(平成30年10月再建落慶)
【構造】 寄棟造、単層裳階付き、本瓦葺
【規模】 正面37.0m(桁行9間)、側面23.0m(梁行6間)
【公開情報】 常時公開

中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等とします。創建当初の中金堂の規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級でした。当時は丈六釈迦如来像を中心に、薬王・薬上菩薩像と十一面観音菩薩像を脇侍に従え、四天王像、さらに養老5年(721)に橘三千代が夫不比等の1周忌に造立した弥勒浄土変の群像も安置されていたといわれています。

 以後、創建より6回の焼失・再建を繰り返し、享保2年(1717)に焼失した後は財政的な問題により再建が進まず、およそ100年経過した後に町屋の寄進により規模を縮小した「仮堂」を文政2年(1819)に再建します。しかし、あくまで仮設としての建立であったため、長期使用を想定しておらず、材木には不向きなマツが使われるなどしたため、急速に老朽化が進みます。そして、創建当時の様式で復元すべく、この仮堂は平成12年(2000)に解体しました。その後、発掘調査を経て、平成22年(2010)の立柱式、平成26年(2014)の上棟式を経て、平成30年(2018)に再建落慶を迎え復元されました。

現在のご拝観について
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