境内案内

仮講堂

(かりこうどう)

興福寺の伽藍

金堂の役目を終え、新たに講堂を担う

 中金堂の享保2年(1717)被災後は、幕府や朝廷、また藤原氏からの支援・援助も叶わず、当時の興福寺の経済状況は極めて良くなく、再建が叶いませんでした。そして約100年後の文政2年(1819)になって、町家の人々の寄進によって規模を縮小した「仮堂」を建てます。本格的に中金堂を復元するためには、資金が足りなかったため、とりあえず仮堂を建て、資金ができたあかつきに本格的な建物を復元する意図があったものと考えられています。

 しかし、この「仮堂」で用いられた部材の多くが松材で、瓦の焼きも甘く、急速に荒廃が進んだため、昭和50年(1975)講堂跡に「仮金堂」が建てられました。この建物は不用になった薬師寺の旧金堂(室町時代、正面26.7m(桁行9間)・側面15.6m(梁行6間)、寄棟造、本瓦葺)を移建したのもので、しばらくの間、興福寺金堂としての役目を果たしました。一方、文政期に建てられた「仮堂」は、その老朽化から平成12年(2000)に解体、平成30年(2018)に中金堂が再建落慶を果たしたので、この御堂は「仮金堂としての役目」が終わりました。

 しかし一方で、本来あるべき講堂の跡に建てられていることから、今後は「講堂としての役目」を果たすべく、再興を進める予定です。「仮」講堂と称しているのはその準備という意味を包含しています。

堂内に納められている寺宝・文化財
現在のご拝観について
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