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中金堂(ちゅうこんどう)

©飛鳥園
| 【制作時代】 | 江戸時代 |
|---|---|
| 【安置場所】 | |
| 【文化財】 | |
| 復元予定 | |
中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を日本の律令制度をまとめ、栄光の藤原氏の基礎を築いた藤原不比等(ふひと)に置く。
旧中金堂は寄棟造、桁行7間・梁行4間、屋根は2重で下の屋根は裳階(もこし)がつき、規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級だった。丈六釈迦如来像を中心に、薬王(やくおう)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像と2体の11面観音菩薩像の4体を脇侍(わきじ)に従え、四天王像、さらに養老5年(721)に橘三千代が夫不比等の1周忌に造立した弥勒浄土像も安置されていた。
6回の焼失・再建の後享保2年(1717)に焼失し、約100年後の文政2年(1819)に仮堂として再建された。近年老朽化が進んだため、北の講堂跡に仮金堂(旧薬師寺金堂 室町時代後期 寄棟造 桁行9間梁行6間 本瓦葺)が移建された。中金堂が復興されるまで、興福寺の金堂としての役目を持つ。現在、解体が終了し、天平様式の建物を復元する予定となっている。










