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中金堂解体工事が無事終了
中金堂の平成22年(2010)再建を目標に、仮説堂宇の中金堂解体工事は、5月23日に法要を行い、8月に無事工事が終了しました。
築後180年を経過しており、また明治混乱期を経験した歴史的意味を持つ建物であるところから、綿密な調査のもと、慎重に解体をすすめ、記録保存を行ないました。
建物本体の規模は、東西が7間(22.3メートル)、南北が4間(8.35メートル)で、本瓦葺の重層建物です。材は、棟木がヒノキ、柱がスギとケヤキでしたが、ほかはすべてマツが用いられていました。組物は平三斗組みで、実肘木を重ねて側桁を受けていました。
「棟札」や銘文などに、この建物は仮殿として建てられるものであること、文政2年(1819)正月に工事をはじめ、9月25日に上棟したこと、大勧進職は妙嬉院法印権大僧都 宗、願主は公納堂町の京屋市左衛門壽延、棟梁は藤原朝臣南門大夫邦矩であること、9月15日に大阪の信濃屋助三郎らが野地板10枚を金3両で寄進したこと、平瓦は文政5年3月に、鬼瓦は文政3年正月と4月に、奈良の北半田町や南半田町、小西町、鳴川町、笹鉾町などの大勢の住民が寄進したことなどが書かれていました。
このことから文政2年正月に再建工事がはじまり、9月25日までに野地板をはり、杉皮をのせるところまで工事が進み、上棟式をむかえることができたこと、瓦は遅れて、この9月から5年3月まで、約2年半かかって造られ、葺かれたことを知ることができました。この間、屋根は土間葺きの杉皮がはられたままでした。杉皮は吉野郡の上市や川上村から納入された大変に上質のもので、雨漏りはしなかったようです。
使われていた瓦は合計約5万枚。軒瓦は瓦町の桧皮屋平蔵、通称「桧平」らによって、さらに鬼瓦は同じく桧皮屋平蔵、菖蒲池町の三郎兵衛、板新屋町の五兵衛らが造り、寄進したものでした。
また庇屋根内部から大工道具のキヅチ、スミサシ、ヒカリツケが発見されました。おそらく文政再建時の大工の忘れ物と思われます。大工が実際に使った道具ですから、大工の息づかいが感じられる貴重な発見物でした。
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基壇は現在シートで覆っていますが、来年1月から半年の予定で、発掘調査に入ります。
なお国宝館で10月1日から12月14日まで、平成10年と11年に行なわれた中門跡、回廊跡、中金堂前庭の発掘成果を展示する「発掘調査速報展」を開催しますが、同時にこの解体修理で発見した墨書や各種瓦、大工道具も展示します。ご期待下さい。
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