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能(のう)の話・第一回
興福寺国宝館に安置される阿修羅像をはじめとする天平の諸尊は、もともと東金堂に正対する西金堂に安置されていた。その西金堂で修二会が始行されたのが貞観十一年(八六九)。 およそ諸大寺の伝統的大法要は、個人だけの除災招福を願うことは少ない。生きとし生けるものすべての安寧を祈る。したがって、先ず法要の完遂が大事となる。ために、障り害なく無事の満行を期して結界を匝らせる。そして様々な祈願を種々の神秘的祈祷所作とともに行った。それらふるまいのうち、特に人々の目に映り耳に入る動きを外相といった。その役目の僧侶は法呪師と呼ばれ、やがてその役目は猿楽(散楽)呪師に委ねられるようになる。 |
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猿楽の続き。法呪師の役目を担うようになった散楽の人々。散楽は大唐の芸事で、賑やかな音楽を伴奏に奇術をしたり、遊女・占師・祈祷師などの物真似を、身振り手振りも滑稽に演じた民間芸能であった。散楽は日本にも伝わり、それに猿楽(申楽)の字を当てたといわれる。 散楽は平安時代に諸大寺に所属するようになる。そして、寺々の大法要に際しては、所属する彼らに外相のふるまいを任せるようになった。彼らは猿楽法師・猿楽呪師と呼ばれ、その動きは〈呪師走り〉と称された。 興福寺の法要は全て春日大社の神々の影向を仰ぐ。西金堂修二会においては、み仏にささげる神聖な薪、”みかまぎ”を春日の花山から運んだ。”みかまぎ”は諸仏諸神に捧げられるものである。どこの家庭でも家に客を迎え入れるに灯りをともす。同じく、真理の世界から来られる賓客・み仏や神の座を照らすが役目。修二会では毎夜神々に供え物をし、法要の無事を願う神供の儀式があった。献ぜられた薪は、式の行われる手水屋において炬かれ、その明々と燃え盛る火のもと、猿楽呪師が習い覚えた所作を演じた。そこから薪猿楽と称されるようになったと云われる。猿楽の源流、物真似を主体とした散楽の下地が物を言った。しかも、大和の実質的国司あるいは守護として永く君臨した興福寺と強く結ばれたことは、猿楽が著しく発展する要素となる。 演じたものは密教の所作を真似たものや、今日の能『翁』に伝わる呪術的部分であり、劇的要素はなかったと思われる。しかし、長く社寺に従していれば門前の小僧習わぬ経を読むである。その影響は深く滲みこんでいったに違いない。幽玄の妙の味わいは、心のひだをめくる法相唯識、−−仏教深層心理学とも謂うべき教えなくしては生まれなかった。南北朝時代に至れば、その精華が金春の禅竹などによって開かれ、猿楽は芸術の域に高められるのである。 (森谷英俊記 産経新聞掲載より) |
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