興福寺について
 概要2〜Outline -2-

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天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。

平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。

文禄4年(1595)の検地で春日社興福寺合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。

その後、明治時代はじめの神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで興福寺は荒れましたが、その後は寺僧有縁の人々の努力で復興が進展し新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。


〒630-8213 奈良市登大路町48
法相宗大本山 興福寺
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