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今、発掘調査が行われているここ中金堂は興福寺の中心となる建物で、710年に創建されたと伝えられています。興福寺の1300年近い歴史の中で7回の焼失と再建を繰り返してきました。
その再建費用は、平安時代には朝廷の命令によって、近江、丹波など7カ国が費用を出しあいました。鎌倉時代や室町時代には、朝廷や幕府の支援のもとに寺自身が復興しました。
ところが、江戸時代中期、1717年の被災後は、幕府から若干の寄付がありましたが、とても及びませんでした。それからおよそ100年後の1819年に奈良の豪商、京屋市左衛門(きょうやいちざえもん)というお金持ちと大勢の人々の寄進によって、仮に再建されました。 しかし、近年老朽化が進み、2000年に解体して、2010年の興福寺創建1300年の記念すべき年に向けて中金堂再建を進めることになりました。なお、中金堂に安置されています釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)と四天王像(してんのうぞう)は、現在、後ろの仮金堂(かりこんどう)に安置されています。
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