年中行事とイベント案内

一年間の行事

慈恩会(じおんね)仮講堂 11月13日

 師走をすぐそこにひかえた11月も中旬になると、奈良は急激に冷え込み、冷気にすっぽりと包まれつつ日ごとにその静寂さを増していきます。

 そうした晩秋の1夜、興福寺では、慈恩会とよばれる法会(ほうえ)がおこなわれます。この慈恩会の式日・11月13日は私たちの心の実態を如実に説く法相(ほっそう)の教えを組織大系化して法相宗の宗祖としてあがめられる慈恩大師(632〜682)の入滅された日です。そこで、その正忌日に、法相宗の主だった僧侶たちが一堂に会して、中国・唐時代きっての学僧であった慈恩大師の学徳をしのぶのです。

 奈良仏教の伝統的な法要のスタイルとしては、自らの罪を悔懺して国家安穏・五穀豊饒を祈願する悔過(けか)法要と、論義法要との2つが伝えられていますが、この慈恩会は、論義法要の代表的なものの1つです。

 仏教の学修の方法は、行・学の2つの面にわたっていますので、実にさまざまなカタチがあるのですがその1つに論議または問答というものがあります。

 これは、経典や論書(お経の注釈書、研究書)のなかの問題について、問答を重ねながら仏説の真意を明らかにしていこうという研究方法です。対話をとおして、仏陀のサトリというものにせまろうとするものといえます。

 慈恩会は、そうした論義あるいは問答を中心にすえた法要で、たとえばその最後におこなわれる番論義では、答者(たっしゃ)が問者の質問の内容をよく理解できず、「今(ま)1度申せ」と問題を何度も聞きなおしながら進められる形式の論義などもあります。これを「重難(じゅうなん)」といっていますが、一見たいへんユーモラスで、必ずといってよいほど慈恩会の参拝者の関心を買うものです。しかし、その反面、過日における学僧たちの、難渋しながらもなんとかして質問に答えていこうとするスガタをほうふつとさせ、論義問答のきびしさというものを感じさせる1コマでもあります。

 この慈恩会は、11月13日の午后7時から約2時間、興福寺仮講堂で行われます。当会はどなたでも参拝・聴聞できますので、ぜひ、そうした奈良仏教のあまり知られていない伝統的な1面にも触れていただきたいと思います。

 なお、慈恩会は天暦5年(951)、ときの興福寺第14世別当・空晴(こうじょう)の発願によってはじめられた法会といわれております。のちに、興福寺12大会の1つに数えられるような大きな法会となりましたが、その当初は、慈音会の名称も定かではありませんでしたので、最初は空晴の私的な仏教研究会であり、そこにおいて空晴は門下の教導育成にいそしんだのであろうと想定されています。


慈恩会竪義加行(りゅうぎけぎょう)

 慈恩会の原形が始行されましたのは、天暦5年(951)と『諸寺縁起集』に出てまいります。天緑元年(970)には庚申講(こうしんこう)と称され、慈恩会と号されるのは翌年からであります。庚申講と言われた理由は確たる史料もなくよく分かりません。ただ、推測がついており、恐らく興福寺第14世別当・空晴(こうじょう)(877〜957)の発願と考えられております。空晴は一時衰微した興福寺教学を復興にみちびいた大変すぐれたお方で、門下から多くの有名な弟子たちが輩出しております。特に仲算・真喜・守朝・平仁が著名であり、中でも仲算は秀才の誉れたかく、「応和の宗論」で叡山のこれまた俊才良源と熾烈な論戦をはったことは有名であります。この様な方々が慈恩会を興隆に導いたに相違なくやがて慈恩会は興福寺の重要な法要の1つになります。

 興福寺第一というよりも南都第一の盛儀は勅会「維摩会(ゆいまえ)」でした。そのことを『三宝絵詞』は「維摩・御斎・最勝、是を三会といふ。日本国の大なる法会これにはすぎず」と記しています。法要の講師には維摩会竪義完遂者から選ばれ、この三会の講師を全てつとめた者を已講と称し、実に僧綱補任の登竜門でありました。比叡山の開祖最澄伝教大師も、醍醐寺を開かれた聖宝理源大師もこの維摩会の研学竪義に臨まれたことでした。維摩会は諸寺の経釈法要の鑑となります。

 天元4年(981)には、慈恩会の竪義が制せられました。竪義を現代的に言いますと、口答試験ということになります。この他にも興福寺には竪義を制した法会に方広会(ほごえ)と法華会がありました。慈恩会・法華会・方広会の竪義を経ることを3得業(えぎょう)と称し、維摩会の受験資格としました。なかでも慈恩会は宗祖大師の照覧を仰ぐため、重視されました。その後、幾多の変遷がありましたが、慈恩会は今に続いております。

 さて、竪義を受けるにあたっては、受験勉強にも似た前加行(けぎょう)を勤めなければなりません。まず、試験問題に相当する論議の主張命題(所立)が決まり、節回や所作が伝授されます。本来、口答試問ですから伝授などありえないのですが、鎌倉時代になりますと竪義の形式化が始り、室町時代になると固定化して現代に及んでいるのです。節回とは論議に抑揚をつけ、あたかも唄うように答弁するのです。いく種かの節があり、中には切声、俗に泣節というものがあります。難題を突き付けられ進退極まって、声も震えながら答弁した史実が形式化して伝わったものです。可笑しみのなかに必死の様を感じとれ、なかなか味わい深い法会です。竪義は10年に1度くらい行われます。機会がありましたら、是非おいで下さい。