年中行事とイベント案内

一年間の行事

文殊会(もんじゅえ)東金堂 4月25日

 桜がそろそろ散り始める三条通りの坂道を、可愛い子供たちがキラキラと賑やかに五重塔に向ってお練りするところをご覧になったことはございませんか?4月25日は興福寺の文殊会です。文殊会は、仏説文殊師利般涅槃経(もんじゅしりはつねはんきょう)をよりどころとしています――文殊菩薩を供養したいと思はば、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう。貧者に施給するは、文殊菩薩を供養することである。往時は、文殊菩薩をお祀りして、人々を救い教化し、またみなしごを養い育てることを祈願する法会でした。我が国における当会の起源は淳和天皇のとき、勤操、泰善等が畿内に於て、飯をつつみ、菜を加えて、諸々の貧者に施す社会福祉的な善業を、公家と協力して行なったのに始まります。勤操の寂後、泰善の上表により天長5年(828)2月25日「應修文殊会事」の太政官府を下され、国家恒例の勅会として諸国に於て厳修されました。その後、承和(じょうわ)2年(835)6月、同6年8月詔を降ろし、官符に従い、文殊会を奨励せられました。やがて、毎年7月8日東寺、西寺を始め広く京畿諸国の寺々において行なわれるようになりました。しかし、諸国文殊会のほとんどは平安朝の末期に衰退してしまいました。

 興福寺では、記録に承和6年3月中院屋(明治初めまで、現在の県庁のところにあった塔頭(たっちゅう))で文殊会が始められたとあります。江戸時代も後半享保年間にも3月25日文殊会ありと記され、続いていたことがうかがわれます。

 この法会の主尊である文殊菩薩は、正式には文殊師利法王子菩薩摩訶薩とおよび致します。サンスクリット語のManjusriを音写したものです。Manjuは美しい、魅力ある、またsriは繁栄、栄光、王者、と言う意味で、ゆえに妙吉祥尊、妙徳と訳されます。その絶大な智慧を象微して、獅子に乗る御姿で表せされることが多いようです。また、遥か昔に既に成仏し、樹種上尊王仏になったとも信じられ、ために大乗経典では、未来仏の弥勒様が問者に位置するのに対し、文殊様はよく答者となります。仏教の重要な、そして興福寺所依の経典の1つである「維摩経」では、維摩様を訪ねた文殊様が対談をとおして、お2人で仏教の奥義を明かされるのです。

 永遠の時をかけ、常に私たちに仏様への道をお示しになる文殊様は、ずっと東金堂にお座りになっておられます。興福寺の文殊会は、今は東金堂で行われます。