年中行事とイベント案内

一年間の行事

追儺会(ついなえ)東金堂 2月3日

 日本には昔、大晦日に行なう追儺(ついな・おにやらい)という行事がありました。宮中に始まり、その範は中国に求められます。疫病の鬼に粉した舎人(とねり)を、これまた方相氏〔鬼を追う人〕になった大舎人長が4目の仮面を被って追払う儀式でした。殿上人は桃の弓、葦の矢で是を援護したと言う優雅な行事ではありました。さて、ここで言う大晦日。今のカレンダーとは少し異なります。なぜかと言うと太陰暦で数えたからです。陰暦は5日を1候、3候を1気(節)、6候を1箇月としました。そして、節の前日を節分と言い気節の移り変わりの目安としました。特に暮れの節分は新たな年を迎えるので、重要な意味を感じたようです。この日を陽暦に移すとだいたい2月3日頃になります。

 ところで、節分に欠かせない登場者は鬼ですが、そもそも鬼も中国から伝わったものではないかと言われています。中国の古典、楚辞に屈原(くつげん)という人が出てきます。非常な愛国者で有能な人であったのですが、ざんそによって左遷され汨羅(べきら)と言う河に身を投じて死んでしまいます。その後、屈原の怨霊〔鬼〕がたびたび現れ、汨羅を通る人々に災をもたらしました。そこで、人々は災を鎮めるため、節分〔5月5日・屈原の忌日〕の日に「ちまき」を河に投じ霊を慰めたと言うことです。

 もともと「ちまき」は節分には必ずつくられていたようですが、今では、5月の節供菓子になってしまいました。やがて「ちまき」は五穀にかわり、さらには豆に代表されるようになりました。

 ここで少し日本に仏教が入ってきた頃のお話をいたしましょう。日本に仏教が伝わりますと、修二月会と言う行事が行われるようになりました。今でも有名なのは東大寺のお水取りですが、興福寺でも東金堂、西金堂で行っていました。遠い起源と言われるインド。そこの正月は日本の2月に当り、それを模したとも言われることからも、やはり新年を修める行事であったことが分ります。

 これら様々な思想、行事がまざり、日本では鎌倉時代に節分の鬼追いの行事が一般に定着し始めたようです。ヒイラギの枝にイワシを刺して門口に立てているのを御覧になったことはありませんか?鬼はイワシの臭いに弱いと言うところから来ています。また、皆さんは節分の日、自分の年より一つ多く豆を食べていると思います。これは節分が年越しに行なわれていたなごりです。節分は新春を無事むかえ、心新たに1年をはじめる行事であったことが良く分るとおもいます。

 興福寺ではその伝統を引き継ぎ、東金堂で2月節分の夜6時30分から薬師如来の御宝前で皆様の除災招福の悔過の法要を行なっております。そして、7時より鬼追いの儀式、豆まき行事と続きます。当日は春日社の万灯籠もあり、寒さも一際ですが皆さんも是非1度、春の足音をお聞きになりに来てください。