過日、東京国立博物館で「北京故宮博物院200選」を観覧した。 といっても、筆者の目当ては人気を博したという「清明上河図巻」ではなく、北宋の書家・黄庭堅(一〇四五〜一一〇五)の「草書諸上座帖巻」――。ゆっくりしげしげと見入り、大いに堪能した。
書は、若い時分からなぜか唐の顔真卿とこの黄庭堅(山谷道人)が好きで、へなへなした字しか書けない自分にとって、羨ましくも憧るものだ。正直言って書道史に一片の知識もないが、いつだったか二玄社・書跡名品叢刊の解説(中田勇次郎氏)「黄山谷が書のうえでもつとも尊敬したのは顔眞卿である。云々」を読み、――それみろ、とばかりに今も時々、この二人の書を唯ただうっとりと眺め、至福の時を得ている。
しかし、それにしても、展観に供された「草書諸上座帖巻」には文字通り圧倒された。そうとうの長尺で、あとで図録の解説を参照すると、縦三三・〇×横七二九・五センチメートルとある。前後七メートルを超えて書下ろされたこの草書はふつう「狂草」といわれているが、もとより誤解してはいけない。狂とはおそらく、本質をつかんだ自由奔放の意であろう。だからむしろ、端正とこそいうべきではあるまいか、と今回気がついた。
ところで、明・清二十余人の皇帝が起居した紫禁城、それがいま故宮博物院として一般に公開されているのだが、とにかく広い。南北一〇〇〇×東西七〇〇メートルの城内は、「皇帝が政務を執り行なった南側の外朝と、皇帝が居住した北側の内延に二分される」(図録解説)。もっとも、その内延もまた公的な意味合いが色濃く、皇帝は内延西の養心殿(正殿・東暖閣・西暖閣)にいることが多かったらしい。
そして、清朝第六代の乾隆帝(一七一一〜九九)なぞは、正殿や西暖閣での政務に厭きると、隣接する「三希堂」と名づけられた書斎にこもったという。この三希堂、なんと八平方メートルの小部屋だ。 三希とは、書聖・王羲之の「快雪時晴帖」とその七男・王献之の「中秋帖」、そして、王羲之の甥・王cの「伯遠帖」を室内に架蔵したからだが、それはともかく、広大な紫禁城からすればなんとも狭小の空間だ。しかし、乾隆帝がそんな小部屋で垂涎の書を眺め、思索し、物思いにふけったというのは、なんだかよくわかる話ではないか。
起きて半畳寝て一畳というけれど、それに三畳ほどの空間があれば、人間一人の居場所としてはもう十分。というか、むしろそうした狭小空間だからこそ、私たちは心安らぎ、落ち着けるのではあるまいか。紫禁城という広大な空間も、宇宙規模からいえば芥子粒ほどもない。その自然の中の微細なるもの、やっぱり人間って小さいのだ。と、乾隆帝が思ったのかどうか。
むかし、――壁ぎわに寝返りうって…、と誰だったかが歌っていた。なにか寂しげな歌だったが、人間そんなものだろう。たとい広々とした空間を与えられても、誰もそのど真ん中では寝ない。皆きまって壁ぎわに、しかも丸まって眠るのだ。でも、その微細なるものという本質の自覚こそ大事だ。
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